現代ではすっかり定着したコンタクトレンズですがどのような歴史があるのでしょうか?

1801年にトマス・ヤングが、1823年にイギリスの物理学者ジョン・ハーシェルがコンタクトレンズに関する実験を行っている。コンタクトレンズの語は、ドイツの生理学者アドルフ・ガストン・オイゲン・フィック (Adolf Gaston Eugen Fick)の名付けた”Kontaktbrille”に由来する。製品としては、カール・ツァイスが1892年に試作し、1911年に製品化しているが、全て度無しのレンズであった。
当時は原料がガラスであり、角膜すなわち黒目の曲率に合わせるためには多くの形を用意する必要があった。そこで1931年にレンズを強膜と接触させ、角膜とは間に液体を入れることで直接レンズに触れさせないタイプの「角鞏膜コンタクトレンズ」が発明され、ヨーロッパを中心に主流となった。一方、米国ではアクリル樹脂である PMMA を使った角膜に触れさせる、正確にはわずかに隙間を設ける形式の「角膜コンタクトレンズ」が急速に普及し、後にはコンタクトレンズといえば角膜コンタクトレンズを意味するようになった。
日本では、佐藤勉が角鞏膜コンタクトレンズを、水谷豊が角膜コンタクトレンズの研究を進め、しばらくの間脱落防止性能や装着時間などを競い合った。この頃には角鞏膜コンタクトレンズもアルギン酸と石膏を使ったモールディングで眼球の型を取った接触型のものができるようになった。一方、角膜コンタクトレンズは、曲率半径7.33 – 8.59で20段階に設定された角膜レンズ検査セットを患者の目に装着させて角膜の型を測定するという方法であった。


1508年:レオナルド・ダ・ヴィンチが視力矯正器具としてのコンタクトレンズのアイデアを考案した。但し、俗説であるとの意見もある。


1887年:アドルフ・ガストン・オイゲン・フィックにより初のガラス製コンタクトレンズが製作された。


1932年:イギリスのインペリアル・ケミカル・インダストリーズ (ICI) 社により透明度の高いPMMAが開発され、同年、アメリカ合衆国のロームアンドハース社によって市場に導入される。


1936年:米国の Obrig と Muller が PMMA をレンズに使用できることを実証した。


1937年:ウイリアム・フェインブルームによりガラスとプラスチックの半合成レンズが作られる。


1940年: Obrig により全プラスチックのレンズが作られた。


1948年:アメリカの Touhy が PMMA を用いてハードタイプのコンタクトレンズの原型を作り出す。


1949年:名古屋大学の水谷豊博士が日本で初めて臨床試験に着手した。


1951年:水谷、円錐角膜患者に対し、臨床的に成功を収めた。


1951年:株式会社メニコン創業者田中恭一が日本初の角膜コンタクトレンズの実用化に成功した。


1960年代:チェコスロバキア(当時)の科学者 オットー・ヴィフテルレ (Otto Wichterle) によって、後にソフトコンタクトレンズの素材となるアクリル系ハイドロゲル (HEMA) が発明された。


1970年頃: RGP が登場した。


1971年:米ボシュロム社によって初めて製品化されたソフトコンタクトレンズが発売された。


1988年:米国では、アメリカ食品医薬品局 (FDA) が使い捨てコンタクトレンズを認可した。

(wikipediaより一部引用)


様々な人によって長年研究されてきた結果できたレンズです。